夢々回顧録
今でも時折思い出す夢がある。
大体この暑い季節にみていたと記憶している。
小学生の頃の通学路の話、昭和の50年後半頃かな、実家から小学校までは遠かった。
子供の足で45分、距離の半分は登り坂と言う小学生には過酷な現状だったが、
当時はそれが普通だったので、毎日遠いながらも通学していた。
余談だが、家の敷地の真ん中が学区の境になっていて、小学校入学時に役所のヒトが来て、
どっちの学校に行きたい?と聞かれたので、当然近い方を選んだのだが、
後日母屋が、遠い方の学区だったので結局そちらへ通う事になった。
近い方は、子供の徒歩で20分の所だったので、残念で成らなかったのを覚えている。
遠い方の母校、通学当時創立100年越えてたから結構古い学校だった。
ある暑い日の帰り道の事、神社を過ぎた辺りから、前方20m程先に見覚えのある背中を見つけた。
母の背中だ。
追い付こうと歩みを早めるが、中々追い付かない。
下り坂へ差し掛かる、この先急な坂→緩やかな坂→急な坂と続くので、
今がチャンスと坂の勾配も手伝って走りだすが、やはり距離は縮まらない。
坂が終わって唯一の横断歩道の信号で止まったので追いつくと思ったら、
無常にも青になり、母は進んで行った。
寺の山門前を過ぎ次の十字路を左へ曲がれば家だ、
母が曲がったので距離を縮めるべく駆け出したが、やはり距離は縮まず前にいる。
実家の玄関の中へ消えていく母を見送り、ここで夢から醒めた。
随分と夢の中で動いていた様で布団が動いて滅茶苦茶だった。
それから少し経って、土曜日の学校の帰りに、夢と同じ事が起こった。
神社を過ぎたら白いワンピース姿の母の後ろ姿を見たので、
夢と同様に追いかけた、追いかけた、追いかけたが、結局夢と同様に、
信号は青になり、十字路を左へ曲がり家の玄関の中に入って行ったのだが、
夢と違い奥の植木場から「おかえり」との母の声が聞こえた。
正直「え?お母さん何でそこにいるの?」と言ったら、
「何もずーっと草むしりしてたよ」って言われた。
「だって神社からずっと前歩いてたよ」って言えば、
何やら合点がいった様で
「仏様にお帰りなさいって言ってらっしゃい、それで全部だから」と
意味深な事を言われたので、仏間でご挨拶。
「ただいま戻りました」と言ったら、風も無いのにお鈴が鳴ったのでした。
昔から正夢とか少し同年代の子達と違うと言われてたそんな記憶のお話。
思いの外今回は長くなったけど、結構支離滅裂だったりしますが、
其れは其れと思って下さいませ。
2015年7月27日
黄色いひつじ